今回は、福山市議会の大田祐介議員にインタビュー。
政治家を志すきっかけになった出来事や、議員活動の軸、自らのポリシーなどについてお話しいただきました。
アフタートークを含む全編動画はこちらからどうぞ。
目次
1968年、岡山市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業、大阪産業大学短期大学部自動車工業科卒業後、愛媛十全医療学院作業療法学科に入学。作業療法士の資格を取得し1991年に大田記念病院に就職。2010年に広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻を修了。2003年の福山市長選挙における投票率の低さに愕然とし、翌年2004年に福山市議員選挙に無所属で出馬。同選挙にて福山市議選史上最高の得票で当選を果たす。以来5期20年連続当選中。取材時現在、福山市議会議員6期目。
突拍子のないことでも、間違っていないという信念

私が議員になろうと思ったきっかけは、初挑戦した市議選の前年に行われた市長選挙の投票率が低くこれは良くないと感じたからです。
またその市長選挙の際に応援した候補者が訴えていた芦田川の河口堰開放の主張について非常に共感し、当選が叶わなかったその方の代わりに私自身が市議会議員となってその意思を継ぎたいと考えました。
特に芦田川の河口堰については、川で泳いだり、釣りをしたり、ウナギを捕まえたりできていた、子供にとって楽しい川だった頃を取り戻すための自然保護みたいな活動に当選以前から携わっておりました。
しかしある人物から、「本当に状況を動かしたいのであれば政治家になりなさい」と助言され、「なるほど」と思って議員を目指したのが一番大きなきっかけですね。
そして初めて選挙に出馬した際には、色々な方からアドバイスをいただきました。けれども多種多様すぎてどれが正解でどれが誤っているかなんて分からないんですよね。
そんな中で、だんだん「自分のスタイルで選挙活動を行いたい」と考えるようになりました。
例えば、街宣活動を自転車で、それもママチャリではなくスポーツタイプの自転車で実施してみました。これについても、そんなことをしたら票が集まらないと指摘される方もおられたわけです。
でも、徐々に良い反響も広がりまして、事務所にも肯定的な意見が集まりだしたんです。すると、票が集まらないと指摘されていた方からも、「どんどんやれ」って言われるようになりました。これは面白かったですね。
票にならずとも、自らの思いを信じて活動する

私が議員活動で力を入れているのは、戦争の歴史を後世に伝えるということです、
昔は、戦争で亡くなった方の遺族会というのが組織されており、それなりに集票力を保持していた。そのため、政治家も遺族会のために活動し、遺族会のみなさんが投票してくれるというサイクルがあったりもしました。
しかし、高齢化などにより団体も小さくなり、集票力がどうこうといった組織ではなくなっています。それに伴って戦争がどんどん過去のものとして忘れ去られているように思います。
この現状をよくないとは感じていますが、戦後80年の間が平和だったこともあり、イマイチ皆さんは実感を伴っていないのですよね。しかし、海外に目を向けると、紛争が多発しています。
一見、日本とは無関係だと思われがちですが、そうではないんですよ。
現状、日本を狙う国があるというのは事実である以上、いつ巻き込まれるか分からないわけです。これは、過去の戦争に関する歴史や研究からも読み解けます。
戦争が始まる要因は多岐にわたりますが、一番多い理由は領土問題ですよね。そして日本も周辺国と領土問題を抱えています。
だからこそ、今後起こりえる戦争を抑止するために戦争の歴史をしっかり勉強しましょうということなんですよ。
考えるだけではなく、行動して実現を目指す

その他にも、ブドウの栽培やワインの醸造に力を入れています。
そもそも福山はぶどうの産地なんですが、今までは食用のブドウばかり栽培していました。しかし加工用も食用も同じブドウには違いないんですよね。
そこで、ワイン用のブドウを栽培しワインを醸造してみてはどうかと提案してみました。
例えば、世羅町のせらワイナリーや三次市の広島三次ワイナリーは第三セクターでやっていますよね。
(編集注:第三セクターとは、民間と地方公共団体が共同出資で行う事業体のこと。)
ただ、予算の編成権は市長にあり、市長がその気にならなければ予算が付かず実行できません。議員はお財布を持ってないわけですからね。
ですが、議員として提案して放置し、結局できませんでしたというのは面白くないじゃないですか。
なので議員の立場でもできることは実行するようにしています。
何であれ、提案する以上は、自ら試してみたりして、可能性を調べてから提案するようにしているんです。
ワインの醸造についても、提案するのと同時に自らブドウを栽培し、収穫したブドウを使用して実際にワインを醸造しました。
ただワインを醸造するためには他にも色々と規制があるんですね。例えば、醸造免許を税務署から取得しないといけないのですが、これもとてもハードルが高いわけです。
ところが、このハードルをちょっと下げるワイン特区という制度がありまして、これを福山市が指定してもらえるようにと市に提案しました。
事業をおこないたいと表明している人がいる以上、市として動かないわけにはいかないですからね。このように有言実行と表現するのはかっこよすぎるかもしれませんが、ハードルを超えてきました。
言うだけ番長では議員としてダメなんですよ。
だから、議員として「政策を提案した以上は、それをどうやって実現できるんだろうかということを考えて考えて、考えるだけでなくて、実行して実現させる。」というのが私のポリシーですね。
そして、一昨年のG7広島サミットで、私の作ったワインが各国の首脳に嗜んでいただけるという大変光栄なことがありました。
もちろん、全く政治力は使ってないですよ(笑)。
日本ソムリエ協会の会長がワインを選ばれたんですが、「美味しいのは当然、かつ日本らしいワインを出したかったんです。」と言われてたそうです。
私が栽培しているブドウは、日本の古来からある山葡萄とヨーロッパのワイン用のブドウを交配した品種です。つまり日本オリジナルのブドウを使ったワインだったので、これは日本らしいワインだということで選んでいただいたということですね。
私が考えていることとして、やはりワインなどのアルコールにも地産地消という概念がありうると思います。
食糧需給の問題については、米がよく議論されていますが、国産のイメージが強い米ですら自給自足が可能か怪しいのではないでしょうか。
ワインなんかはもう、ほとんど輸入で、国内のブドウで作った純国産ワインっていうのは、恐らく5%にも満たないと思うんですね。
ヨーロッパから輸入したワインもおいしいかもしれませんが、そうすると皆さんの稼いだお金がどんどん海外へ流出してしまいますので。やっぱり食料だけでなくて、アルコールも地産地消でいきたいなと思います。
ワイン造りの話を言い出した時も、「また大田が馬鹿なことを言い出した。」と随分陰で言われてました。しかし今となってみれば、やっぱり福山にワインって適合していたんだと思います。わかるまでに10年以上かかりましたけどね。
最初の提案をする時は、私は結構、突拍子もないことを言うらしいんです。だけど、それが間違っていないという信念はあります。
先ほどの戦争の話もそうです。過去に、80年も平和が続いたという歴史はないんです。だからそろそろ怪しいと思い、備えをしなきゃいけないと思います。
例えば、某国がミサイルを次々と発射しています。幸い日本に着弾したミサイルは今のところはありませんけど、みんなもう慣れてしまっていますよね。どうせ次も脅しだと思ってるかもしれませんが、人間のやることですから明日気が変わるかもしれないですよ。
その場合は一体どこに逃げますかと。日本にはミサイルが飛んできた時に隠れる地下のシェルターがありません。例えばスイスは100%以上、イスラエルも100%でシェルターが整備されています。
しかし、日本は人口割合で0.03%、3万人分ぐらいしかありません。
それも東京や大阪など地下鉄がシェルターになるだろうという想定です。しかし福山には地下鉄はおろか地下空間すらあまり存在しません。存在している空間も駐車場などで使用してしまっています。
唯一空いているのが、かつて「福山そごう」であった「iti SETOUCHI」の地下ですね。そういう場所をシェルターとして整備してみてはいかがですかと提案しています。
国もようやく、地方のシェルター整備に予算を付ける方向で動きはじめています。だからこそ、福山でそういう動きを行えば、どんどん県や国に波及していく、もしくは逆に国から働きかけがあるかもしれない。
このような、(台風などの自然災害だけではなく)武力攻撃に関する有事の備えも行わなければと思います。それがまさに国民の生命と財産を守る、福山市民の生命と財産を守ることですよね。
歴史やイベントなど、物事の由来や理由をどんどん発信すべき

福山は知名度が低いですが、駅からお城が見える駅と伝えれば、「ああ、あそこね」と大体分かるみたいです。
福山駅は福山城の中にありますからね。なので福山城を中心としたまちのPRを実施していきたいと考えています。
ちょうどこの(インタビューを受けている)場所はお城の裏に位置しており、備後護国神社という名前なんですけれども、元々は阿部神社と呼ばれていました。
ここは、福山藩の藩主である阿部家が作った神社です。その境内に能舞台がありまして、由来と位置的に福山城の一部と言ってもよい能舞台ですよね。
しかし、政教分離の関係で寺社仏閣に公金投入ができなくなっています。ですからこの能舞台を改修するために募金活動を行いました。
そういう旗振り役を、誰かがやらないといけません。なので私は、この神社に限らず、寺社仏閣を守ることが使命だと思って活動しています。
やはり日本人の精神の拠り所だと思いますし、有効活用して観光資源にもなればと思います。さらに若い人が時々参拝されて、心の癒しとなる場所になれば良いですよね。
ところで、先日福山で世界バラ会議が行われましたが、これは成功であったと思います。
ただ、なぜ福山がバラのまちになったのか、そこの説明が少し弱かったかなと思います。
太平洋戦争末期の空襲で福山のまちが焼け野原になり、戦後である昭和31年から32年にかけて市民が1,000本のバラを植えました。これがバラのまちづくりのスタートと言われています。
ではなぜ福山が空襲されたのでしょうか。そもそもなぜ太平洋戦争を開戦したのか、どこと戦ったのか。
そういったことを、ほとんど皆さんご存じないですよね。あの戦争で福山から出征した兵士は、様々な国の人と戦っています。例えばオーストラリアもそのうちの一国で、戦後福山にやってきた進駐軍でもあったんですよ。
その進駐軍の兵士が、昭和53年に福山が懐かしいと個人的に旅行されたという話があります。そうしたら、バラ公園にオーストラリアのバラがないということに気づかれて、わざわざオーストラリアのバラを寄付されたそうです。
このようなエピソードも存在するのですが、今回のバラ会議ではあまり触れられませんでした。私はたまたま閉会式でオーストラリア代表の方と隣同士になりましたので、このエピソードをお伝えして差し上げたら大変喜ばれましたよ。
やはり、戦争の歴史の延長にばら公園が整備されて、それがまちづくりの中核に据えられているのであれば、様々な戦争の歴史も併せて伝えていくべきではないのかなと思うんですね。
若い世代の人たちへ – まちの、そして自分自身の舵取りを見つけてほしい

なぜ今の平和があるのか、なぜこういう楽しいばら祭りが開催可能なのか。それは80年前に死にものぐるいで戦った兵隊さんのおかげなんですよ。その皆さんが祀られているのがこの備後護国神社なんです。
今ね、日本は平和すぎるんですよ。だから、選挙へ行かなくてもどうということはないです。ところが選挙を誤るとどうなるか悪い例、悪いお手本というのは存在します。
例えば、ナチスのヒットラー総統。この人は、最初は選挙で選ばれた人なんです。何か軍人のイメージがありますが、実は政治家なんですね。しかも選挙で選ばれた政治家。
もしかしたら、軍事クーデターを起こして政権に就いた人だと勘違いしている方もおられるかもしれませんが、実は大人気でした。
政治の一番の目的というのは、戦争を起こさない政治だと私は思うわけです。そのためにはどのような政治をすべきなのかということを色々積み重ねていかなければならないと思います。
では、そのような考えを持つ政治家を選ぶのは誰か。それは、皆さんです。
特に若い人は、今後もしかしたら戦争に出征しなければならない側になる可能性もあります。
それならば政治の究極の目標である戦争を起こさないということを皆さんも考えなければならないですし、そういうことを考えてくれる、実行してくれる政治家を選ばないといけません。それだけのことですよ。
今後、戦後80年とは言わずに、100年後も200年後も平和な世の中が続いてほしいですよね。
なぜ現代において平和な時代が続いているのかと言うと、この神社に祀られているような方たちが一生懸命戦ったおかげであると私は思います。なので、その方々を顕彰する必要があるのかなと思うんですよ。
顕彰するというのは、そのような方たちがどのように戦ったのか、どこで亡くなられたのか、このような事をさらに多くの市民に周知していきたいと思っています。
このように、戦争の歴史を継承していくことが、今後の戦争を抑止する一つの方法なのではないでしょうか。
例年8月15日が近づきますと、折り鶴の制作や、折りばらの制作、ピースコンサートの実施など、様々な平和を祈る行事があります。
それはそれで否定しませんが、、併せて歴史を勉強してほしいなと思います。私が思うに、戦争の歴史を勉強することが今後の平和につながることになるのではないかなと。
今は学校で戦争の歴史を学習しませんが、これも良くないなと思いますね。
さらに、福山に限らず人口は減少しており、高齢化や少子化もますます進んでいます。そうすると、今までのように便利な時代ではなくなってくると私は思うんですよね。
食料やエネルギーの問題はどうなるのか。はたして、今までのように海外から食料やエネルギーを輸入できる時代が続くのだろうかという不安があります。
なので、やはり日本人の総力を挙げて、食料の増産とエネルギーの自給を考えていかなければならないのではないでしょうか。私はそれはそんなに難しいことではないと思います。
それこそ食料については、昭和の頃まではかなり自給できていたと思うんです。エネルギーについても少し遡りますが、戦前ぐらいまではかなり自給率が高い水準であったと思います。
今さら石炭や炭の時代には戻れないかもしれません。しかし、そういったできることをいろいろ考えて、今後の食料不足・エネルギー不足の時代に対応していかなければならないと思案しています。
瀬戸内海の魚も全然獲れなくなっていますよね。これも芦田川河口堰を開放すれば、もう少し漁獲できるのではないかなと思います。
河口堰については環境問題と言うよりは、私は食糧問題だと考えていますから。今まで一次産業を軽視し過ぎた結果が、今出ていますよね。
加えて伝えたいのが、皆さんの人生の舵取りは、自分でしなければならないということです。受験戦争や学歴社会などは、実際のところ、これはもう終わってるんですよね。
特に若い人が、今後どのように自分の人生を舵取りをしていくのか、自分で考えなければなりません。
今までは良い学校に入学して、良い会社に入社すれば、それでもう進路がほぼ定まって、自分で舵を切る必要はありませんでした。今後はそうはいかないですよね。
なので自分自身の舵取りもそうだし、まちの舵取りだって大切ですよね。それは政治家の仕事ではありますけれども、それを選ぶのは皆さんですから。国の舵取り、県の舵取り、市の舵取り、自分自身の舵取り、いろいろと考え選択しなければいけない部分があります。頑張ってください。
インタビュアーより
ワイナリーの運営など幅広く活動をされておられるというのは、事前に新聞などで拝見していたため知っていましたが、インタビューを行い、改めてエネルギッシュな方だと感じました。
特に、インタビューの中で仰っていた「言いっぱなしではなく自分でやってみる」という言葉が、自らが運営するワイナリーのワインがG7サミットで提供されたという実績と相まって、大田市議を象徴する言葉だという印象を受けました。
また、選挙時の集票を意識した提案ではなく、自らの信念に基づいた提案や活動をされており、平和に関して強い思いを抱かれていることがひしひしと伝わってきました。
さらに、うわべだけではなく、物事の根本的要素である由来や起源をしっかり発信することが重要という言葉は、メディアの一員として改めて肝に銘じなければならない言葉だと思います。
改めて、私たちYouth Vote! HIROSHIMAも情報発信する際に、なぜそのような事象が発生したかや、その行為の理由など物事の根本的な要素を、きちんと大事にしていかなければならないと思わせていただいたインタビューでした!
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビュー
Youth Vote! HIROSHIMAでは、以下の2つの目的で政治や選挙の現場に携わる方々にインタビューを実施しています。
- 政治・選挙の現場のリアルを伝えるため
- 政治や選挙に対してのハードルを下げるため
詳細や実施方法、インタビュイー募集については、以下のページをご覧ください。
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビューとは
また、他のインタビュー記事については以下をご覧ください!
インタビュー記事の一覧